「愛宕座」は、明治44年~昭和46年まで、小鹿野町の中心街の愛宕神社の境内にあった劇場でした。 両花道つきの舞台は、回り舞台・セリ上げまで備わり、客席は升席という、なんとも本格的な芝居小屋でした。 一座芝居の興業では、正面に役者の贔屓(ひいき)から贈られたのぼり旗が立ち並び、近くの料理屋が売店を出して、酒や煮しめ、赤飯などを客に出していたそうです。 このコラムでは、終戦直後の1950年(昭和25年)~1955年(昭和30年)頃に撮られた、愛宕座での少女たちの踊りのおさらい会の様子をご覧いただきながら、かつての愛宕座を偲んでいただけたらと思います。 花道から登場。子供たちの家族はもちろんのこと、町の人たちで客席は満杯です。 小さな踊り子の脇で三味線を弾きながら歌っているのは、踊り子の本当のお姉さんたちです。 今の子ども歌舞伎でも、下座音楽の三味線を弾いているのは、地元の高校生の女の子。 昔から小鹿野の子どもたちは、芸達者ですね。 【忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの】 歌舞伎舞踊の一つとして人気の高い演目。 これを、かつて小鹿野町で活躍していた「大和座(やまとざ)」の太夫であった花柳楽寿(はなやぎらくじゅ)師匠が地元の女の子たちにおさらい会の演目として教えました。 平将門の娘・滝夜叉姫が、傾城に姿を変えて、色仕掛けで親の仇を味方に引き入れようとするが、 そのもくろみがバレて、ガマガエルの妖術を使って大立回りになるというなんとも豪華なお話! 今の小鹿野子ども歌舞伎の元型の姿が見られるようです。