観劇前の予備知識あらすじ編~「一谷嫩軍記 陣門・須磨浦組討之場」
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)陣門・須磨浦組討之場(じんもん・すまうらくみうちのば」は、
一の谷(現在の神戸市)の合戦後の、平家方の若き武将、平敦盛(たいらのあつもり)と、
源氏の武士、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)などを中心にしたおはなしです。
熊谷次郎直実と言えば、その名のとおり、当時武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)出身の武将。
はじめは平家に仕えていましたが、後に源頼朝の御家人となります。
~あらすじ~
「一谷嫩軍記 陣門・須磨浦組討之場」
-前半の部分-
前半は、源氏方の意地悪な武者、平山を中心に話が展開します。
平家の陣門前に、熊谷次郎直実の息子、今年十六で初陣した小次郎直家が来ました。
陣内から聞こえてくる笛の音に聞き入っていると、平山が「討ち入って初陣を飾れ」とけしかけ、
小次郎は血気盛んに平家の陣へ入っていきます。
そこへ息子の初陣を心配してかけつけてきた熊谷次郎直実。
日頃から熊谷親子を疎ましく思っていた平山は、熊谷に「止めたが一人で攻め入ってしまった」と嘘をつきます。
それを聞いて熊谷も平家陣内に攻め込み、まもなく手傷を負った小次郎を小脇に抱えて出てきます。
一方、平家方の若き武将敦盛の妻、玉織姫は敦盛を探しあるいているうちに敵の平山に出会ってしまいます。
平山は前々から玉織姫に横恋慕していたので、自分のものにしようとします。
があくまでも抵抗する玉織姫に業を煮やして、平山はとうとう玉織姫を刀で刺してしまいます。
-後半の部分-
さて、一の谷の戦いの敗れた平家方は、須磨浦から舟で落ち延びようとしていました。
敦盛(あつもり)も味方に追いつこうとしていましたが、熊谷に呼び止められ、
ふたりは一対一の斬り合いになります。
ですが敦盛は若干16、7歳、ベテランの熊谷に組み敷かれてしまいます。
熊谷が組み敷いた武将をみると、武者は熊谷の子、小次郎と同い年くらいの若者でした。
その若さを惜しんだ熊谷が「この場をおちのびるように」と敦盛に言いますが、
敦盛は「自分の首を取れ。」と聞き入れません。
そのうち様子を後方から見ていた、意地悪な平山が
「敵の武将を逃がすのは二心があるからだ」と叫ぶので、
致し方なく熊谷は敦盛の首を打ち落とすことになります。
その後、敦盛の首を取ったのち現れたのは、敦盛の妻、玉織姫でした。
すでに平山によって深手を負わされていた玉織姫は、夫である敦盛の首を見せてくれるよう、熊谷に頼むます。
が、玉織姫はもはや瀕死の状態。
やがて姫は目が見えなくなり、熊谷は姫に首を抱かせてやりました。
そうしてとうとう玉織姫も、息絶えてしまいます。
熊谷は二人の遺骸を板に載せてやり、海へ流し入れました。
若きふたりの死を見取った熊谷は、敦盛の首と鎧兜(よろいかぶと)と共に、自分の陣へと引き上げるのでした。
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注目ポイント:
なんといっても、熊谷が敦盛の首を落とさねばならなかったときの心の葛藤を想像しながら、芝居をご覧ください。
後に、武士を辞め、出家することになる熊谷の悲痛さがよく分かると思います。
また、この場面のほぼ最初から最後まで演奏される下座音楽も是非聞きながら観ていただきたいと思います。
笛と鼓がずっと聞こえてきます。
笛については、敦盛が笛の名手だったからなのかどうかは定かではありませんが、
少なくとも鼓については、「死」というものの憐れさ、無常さ、そして美しさ等を表しているような気がしてなりません。